「謎の統合失調症を解く」丹羽真一教授 最終講義

 福島県立医科大学神経・精神科学講座教授の丹羽真一先生がこの3月を持って大学を退官されました。その最終講義の記録ビデオを当社で作成させていただきました。ここに、先生の許可を得て、インターネット上で皆様に公開したいと思います。
 丹羽真一教授は、昭和47年に福島医大に奉職されてより、一貫して精神科領域の研究を続けてこられました。特に統合失調症の研究では、屈指の成果をあげられ、福島医大死後脳バンクの設立と運営の実績は、世界的にも高い評価を受けています。

[最終講義について]
 世界的な調査でも、精神疾患が人類の健康に及ぼす影響は、他の身体疾患に比べても非常に大きい。その中でも、統合失調症は、10,000人あたり0.5〜50人という高い発症率が確認されている、非常に重要な疾患です。
 統合失調症の症状としては、幻覚、妄想といった認知の異常が上げられますが、罹患した人たちにとって最も問題なのは、実はそうした症状ではなく、病気によって認知機能が低下し、その結果、生活が極端にしづらくなる事なのです。つまり、人間としての社会的機能が阻害され、就職や暮らしの様々なところで、多くの困難を抱えてしまう事にあるのです。
 統合失調症の原因は、いまだに確定していませんが、ドーパミン仮説とグルタミン酸仮説が有力です。ともに脳内の情報伝達物質ですが、ドーパミンは主に発症後比較的早い時期に影響を及ぼし、グルタミン酸は慢性期に影響すると思われます。とくに、慢性期に二次的な脳の萎縮を引き起こすGABA系異常とグルタミン酸の関係が注目を集めています。
 また、統合失調症の罹患者に脳内のニューラルネットワーク形成の異常が多く見られる事から、神経の発達障害に起因するという仮説もあります。
 この講義の中で、先生は統合失調症に関する謎を5つに整理されました。まず、「意識がはっきりしているのに幻聴が聞こえるのは、なぜか?」「再発、慢性化しやすいのはなぜか?」「どうして生活がしづらいのか?」「脳体積が減少するのはなぜか?」「なりやすさには遺伝が関係するのか?」。
 この中で、「どうして生活がしづらいのか?」については、認知機能が衰えることによって、社会生活機能、職業機能、自立的生活に必要な能力が重度に阻害されるために、生活上で様々な困難、つまり生活のしづらさを抱える事になる。つまり、それらの阻害要因となる脳の認知機能を回復させる事で、彼らの持つ生活する上での困難さを大幅に回復できる、とまとめられました。
 その他にも、NMDA受容体を調整する分子とその遺伝子異常や最新の診断技術である光トポグラフィにも言及するなど、幅広い分野に渡る研究の成果を解りやすくまとめられた、素晴らしい講義でした。

ニューズレター刊行によせて

 このニューズレターも、2回目となりました。季節は秋のまっただ中。越後平野には冬の足音が日々近づいています。
 新潟の秋といえば、食べ物が一年で一番豊富でおいしい季節です。10月初旬には新米がとれ、枝豆が最後のシーズンとなります。また、様々な茄子が収穫され、地元ではカキノモトと呼ばれる食用菊が食卓に上ります。山は茸が芽を出し、川には鮭がのぼり、銀鱗をきらめかせます。まさに海山の珍味美味あふれるシーズンです。
 人間、美味しいものを食べると幸せになります。脳内の情報伝達物質が活性化され、楽しいあしたが待っている、そんな気になるものです。だから、これから厳しい冬に向かうこの季節にこんなに美味しいものが与えられている、というのも自然の摂理のひとつなのかもしれませんね。
 夏の終わりの頃なのですが、精神科におけるアウトリーチ医療を取材するために福岡のQ-ACTを訪ねました。まだ発足して半年程度の新しいチームですが、とても活気にあふれ、清々しい気持ちになるACTチームです。
 患者さんへの訪問に同行させていただきました。福岡の郊外にすむ3人の兄妹のお宅にお邪魔したのですが、このご兄弟、3人とも精神的な障害を持っています。父親は亡くなり、母親は病気で施設に入所されているとのこと。その残された家で、3人が肩を寄せ合うように、ひっそりと暮らしています。
 家の中は、お世辞にもきれいに片付いているという状態ではなく、部屋の隅には埃が溜まっています。洗濯物も、洗っても片付けるという発想はないらしく、取り込んだまま積み上げられています。
 「でも、彼らはいままでは、誰の支援も受けずに、なんとかやってきたんだよね。それってたいしたことだよね」というのが、同行したACTスタッフの弁。
 どうやら何度かヘルパーさんも入ったのですが、部屋の中をきれいに片付けてしまうので、彼らが拒否してしまうらしいのです。彼らは彼らの暮らしの中で最もよい選択をしているのだから、まずそれは尊重しないといけない、というのがスタッフの意見でした。
 片付けないのがいいのかどうかどちらとも言えませんが、まず相手の生活を大切にする、という意識にはとても賛同します。支援する側の論理を押し付けるのではなく、彼らのありのままを受け入れ、そのなかでできる支援をしていく。精神科アウトリーチ医療というものの本質のような気がします。

中島映像教材出版 代表取締役
中島太一

発達障害のライフスキルの重要性|『発達障害者のライフスキル支援』監修・梅永雄二、本人による解説


宇都宮大学教育学部教授・梅永雄二先生

DVD『発達障害者のライフスキル支援』発売を記念し、監修者からライフスキルに関する解説を頂きました。DVDの視聴と合わせてお読みいただくとより理解が深められます。

 これから発達障害のある方に必要なライフスキルをテーマにご説明します。まず、発達障害のある方は成人期に絞ってもいろいろなトラブルを抱えています。特に、就職に関しては、就職が難しいだけでなく、就職後に定着せずに離職・退職を繰り返す方が非常に多いです。私が関わってきた経験から、一度就職して、退職した理由としていくつかあります。
 退職理由は様々ですが、主なものは<仕事がつまらなかった/人間関係で問題を抱えた/雇用主に自分の障害を理解してもらえなかった/普通の人の感覚を身につけさせられようとして精神的なダメージを受けた/障害など関係ない、努力して直せと言われ重圧になった/会社でいじめを受けた/会社の業務、人間関係ができなかった/仕事をするのが遅いので向かなかった/自分に合わない仕事だった/仕事の技術面で追いつけなかった/人より時間がかかった/簡単な作業ができなかった/期待に応えようと頑張ったが疲れた/人間関係のややこしさ、指示の多さにパニックを引き起こした/自分の能力では手におえなかった/自分のペースで働けなかった/リストラに合った/ストレスと体力的に続かなかった/仕事のレベルアップができなかった/いじめにあったり、無視されたりした>。この他にもいろいろな原因がありますが、それらを分析していくと、ある分類ができることがわかりました。<簡単な作業ができなかった/自分の能力で手に負えなかった/仕事の技術面で追いつけなかった>といった内容は、仕事そのものの問題でした。それ以外に<人間関係で問題を抱えた/雇用主に自分の障害を理解してもらえなかった/普通の人の感覚を身に付けさせられようとして精神的なダメージを受けた>などは仕事そのものではなくて、対人関係の問題で離職、退職されています。それともう一つは<自分のペースで働けなかった/仕事がつまらなかった/ストレスと体力的に続かなかった>。これは、仕事をしている中で仕事と自分との相性の問題によって受けた精神的プレッシャーです。
 アメリカ・ノースカロライナ州で障害者自立支援をしているTEACCHプログラムでは、仕事そのものの問題のことをハードスキルと名付けています。そして、対人関係や精神的なストレスをソフトスキルとして定義しています。ノースカロライナ州では、高機能自閉症、アスペルガー症候群など自閉症スペクトラムの人の離職理由の8割はソフトスキルによるものであるということが証明されています。つまり、仕事そのものも当然問題がありますが、離職理由としては、仕事そのものができないというよりも周りとの対人関係が大きなウエイトを占めていることがわかりました。
 このハードスキル、ソフトスキルと言う定義を簡単に説明すると、ハードスキルと言うのは仕事そのものを言い、作業能力に近いものだと考えられます。例えばスーパーマーケットで働くとすると、パッキング(果物や野菜を梱包する仕事)、そしてその後に値札をつけていく仕事だとか、フロアとかトイレの清掃をする仕事、倉庫から品物を出してくる品出し、置きっぱなしのカートを元に戻すカートの片付け、あとスーパーで言うとレジ打ちが一番目立つと思いますが、こういったことをハードスキルと言います。それに対してソフトスキルというのは、仕事以外の能力のことを言います。日常生活や対人関係の能力、たとえばあいさつをする、協調性がある、表情(明るい顔をする)とか、こういったことができないのが、発達障害のある方に多いのです。そして、一番の問題点はコミュニケーション能力と言われています。昼休みの余暇など職場での様々な行動、食事をした後の休憩時間に違う部署に行ってしまったり、エレベーターのボタンを全部押してしまったりなど、変わった行動をするので、ソフトスキルの問題が大きくなっています。学歴の高い女性の場合にも、女性同士の会話に入っていけず、お昼ご飯はトイレの個室で食べてしまうなどと言う方もいます。
 そういった問題が、実は学校の教育とか、家庭での子育てと関係していることがわかってきました。発達障害のある方の大きな課題と言うのは、今のこの世の中には、暮らしにくい、生活しにくい、生きにくいということです。一般的にアスペルガー症候群の方は常識がないと言われています。ただ、この常識がないという表現を考えると、その常識がわからないから生きづらいのではないのか、ということです。
 アメリカでは、学校教育の中でできるだけ早めに支援をしていこう、ということで在学中から卒業後の計画を立てる個別移行計画がありますが、この中に含まれるスキルと言うのが、自分で移動できる移動能力。それから自分で衣服を着脱したり髪の毛を清潔に保つなどの、身辺自立。また病気が生じた時に対応できる、医療や保健のスキル。そして、一人暮らしをするなどの居住のスキル。意外と大きなウエイトを占めているのが、余暇のスキル。もちろん対人関係とか、地域参加、教育や就労、お金の管理、毎日の生活、そして、法的な問題というのも指摘されています。
 例えば、移動に関して言いますと、発達障害のある方の中で、LDと言われる学習障害のある方は7割がディスレクシアと言われています。これは文字が読めない・書けないというバックボーンに視空間認知の障害があるので、簡単に言いますと上下左右あるいは前後に混乱を示しています。移動の時に方向音痴となって待ち合わせ場所に行くことができない、あるいは時間の概念が十分ではないため遅刻をしてしまう。また、アスペルガー症候群のある方は、音とか匂いとか人の多さに敏感なために電車やバスに乗れない人もいます。
 身辺整理に関しては、学歴の高い方でも意外とできていない。たとえばお風呂に入らず髪の毛にフケがついていたり、髭が伸びっぱなしであったり、化粧ができない、入浴をしない、歯を磨かない。
 衣服に関しては、衣服の選択ができない、季節に合った服装をしていない。あるいはデザインが常識はずれで、変な格好をしていると言われてしまいます。
 医療保険に関しては、自分の健康管理ができないし、病気の症状をうまく説明できない人もいます。
 地域参加に関して一番問題になっているのは、学校に適応できないから不登校になり、その結果引きこもってしまう。
 教育に関しては、学校の勉強についていけないとか、集団行動に入っていけない。
 居住に関しては掃除ができないとか、ゴミ出しができない。結果、片付けられないという状況が出てきますし、また、部屋代、電気・ガス・水道、携帯電話の料金が入金されていないために、電気を止められてしまうということもありました。
 余暇に関しては、人と一緒に行動ができない。また、奇妙な余暇の過ごし方をする人がいます。近年、アキバ系とかテッチャン、オタクと言う表現をしますが、決して悪いことではありません。余暇が充実しているという意味ではいいことです。
 これから一番トラブルが起きそうなのが、お金の管理の問題です。無駄づかいが多く貯金ができない。計画性がなく高額なものを購入してしまって、サラ金に借金をする人もいます。
 法的な問題では、犯罪に巻き込まれたり、逆に犯罪に手を染めてしまう人もいます。保護者の方が経済的援助をしている場合は良いのですが、保護者亡き後というのは、万引きや無銭飲食、また異性に対する距離感がわからなくてストーカーのような行為をする人もいます。
 毎日の生活では、食生活が偏って肥満になってしまう。それから、新聞とか宗教団体に対応できずにたくさんの新聞を取るとか、いくつもの宗教団体に入るとか、訪問販売で非常に高い買い物をしてしまうなどあります。
 最も大きな問題は、対人関係です。適切な感情表現ができない。つまり、笑うべき時に笑えないし、悲しい時に笑ってしまう。一方的にしゃべり続けるとか、人の嫌がることを平気で言ってしまったりして、適切な会話ができない。また食事のマナーも出てきます。自分だけ勝手に食べてしまう。人の分まで食べてしまう。人前で平気でゲップをする。さらに例えば女性の場合は、見ず知らずの男性に平気でついて行ってしまうなど、人にだまされやすい面もあります。そういった状況からトラブルが生じてきます。トラブルに関しては、わがままな人だとか、自分勝手だとか、感謝の気持ちがないとか。また、喋り方も独特です。声の大きさが不適切だったり、あるいは上から目線で偉ぶった言い方をしたり。思い込みが激しいので、人の意見を聞きません。その結果、誤解を受けやすくなっています。他人との距離感がわからないために、近づきすぎたり離れてしまったり。同年代の友達ができず、極端に年下あるいは年上の人としか関われない。
 こういった状況に関して、宮本信也先生(児童精神科医・筑波大学教授)が、各問題が生じる年齢を発達面や行動面・運動面・学習面、そして、心理面とに分けています。発達面の問題は、乳児期や幼児期。行動面・運動面の問題は保育・幼稚園期。学習面の問題は学校に入った学童期に生じますが、心理面の問題というのは思春期以降に出てきています。みんなと同じことができないので、自分自身はだめな人間だという低い自己評価により、自尊感情が下がっています。その結果、自信がなくなり感情が不安定になってきます。常に不安が付きまとい、何か言われるとびくっとしたり緊張しやすくなってきます。敏感な状態になってきて、最後はいくら頑張ってもできないために、非常に融通性のない頑固さが出てきます。これが心理的な症状まで派生してくると、みんなと一緒にいても、所詮僕は使い走りしかさせられないから、と集団行動からどんどん離脱していく。家庭ではストレスがたまり興奮しやすく、乱暴や反抗的な言動、いわゆる家庭内暴力を生じる可能性が出てきます。もちろん、学校は不登校です。学校に行くよりは、ゲームセンターで遊んでいた方が楽しい、つまり非行に走る可能性が出てきます。女性の場合は、性的な逸脱行動ということで援助交際をするLDのある子もいました。抑うつ自殺も、軽い場合でも昼夜逆転するような睡眠障害が見られます。こういった症状と言うのは、持って生まれたものではなく、周りの環境との相互作用で生じた2次障害ですね。ですから発達障害のある方々が学校や家庭で皆さんが理解してくれたり、彼らが住みやすい、暮らしやすい、いわゆる生きやすい環境さえあれば、こういった2次障害は生じなかったはずです。
 発達障害のある方々は、お子さんの時には発達障害をなかなかご理解されない。ご両親からはいつも怒られているとか、虐待の対象になっている方もいることがわかってきました。学校に行くと当然いじめがありますから、「お前なんか僕らの仲間に入れてあげない」ということで孤立してしまいます。そうなると学校に行かなくなってきて、でも家に帰ったら、学校に行くことが正しいことで行かないことが良くないことだ、と言われる。お父さんお母さんだけじゃなく、おじいちゃんやおばあちゃんとも顔を合わせたくない。昼間は部屋にずっと引きこもり、夜そっと起きだして冷蔵庫から食べ物を出してくる。このように家にいる場合もありますが、家を出て学校ではなく「みんなと一緒にオートバイに乗ってぶっ飛ばそうぜ」と言われるようなところへ行くと、自尊感情が高まります。つまり必要とされているわけですから、非行の方向へ行きます。
 青年期・成人期になっていくと、仕事をしない、学校に行かない、就職もしない、職業訓練にも行けない、いわゆるニートの状態です。それでは働けばいいのかというと、残念ながら彼らは常用雇用ではなくて、アルバイト・パート・派遣等のフリーターという状況になる人が多いのです。そういったフリーターの仕事というのは、意外と職種が限られています。コンビニエンスストア、ファミリーレストラン、ビデオショップなど、こういったところでも、実際、職場でのいじめの対象になるのは発達障害のある方が多いです。
 私が関わった大学生の方はビデオショップでアルバイトをしていたのですが、LDの傾向があるので返却されたビデオの戻す場所のBとDを間違えたところ、店長から非常に厳しい声で「お前、大学に行っててもこんな字も読めないのか」といじめを受けました。それが続くと精神的にまいってきます。うつ状態になると、仕事を休みがちになる。休むということは、いつか復職したいのですが、ほとんどの方が離職退職に追い込まれています。
 彼らは成人になると好きな人ができて結婚をします。結婚して生まれたお子さんに対して、自分がされたのと同じような教育しか知らないためか、虐待をしてしまうこともあります。
 親御さんが元気なうちは経済的な援助を受けていられても、先ほどお話ししたように、経済的な援助がなければ犯罪に手を染めないとも言えない。また、犯罪に手を染めなかった場合には、働いていないわけですから、お金がなくて路上生活、いわゆるハウジングプア(ホームレス)になる可能性もあります。ハウジングプアの方々は、路上生活から一端は避難所に連れて行ったりもするんですが、避難所は集団生活です。ここに合わないために飛び出してくるアスペルガー症候群の方が多いこともわかってきました。
 LD、ADHD、アスペルガー症候群がある発達障害の中で、大人のADHDの定義が欧米で出されています。これは30項目のうち、8項目該当すると、ADHDの傾向があるということですが、その30項目と言うのは、<与えられた仕事をやり遂げられない/仕事を良く変える/自己評価が低い/肉体的に危険な活動をしてしまう/忍耐力が足りない/友情が長続きしない/したいことを先に延ばせない/非常に活発多動である/自分の行動が将来困る結果を考えられない/大学に入るのが難しい/記憶力と学習力に問題がある/毎日お酒を飲まずにいられない/法律に違反するような問題を起こしたことがある/交通事故を頻繁に起こす/うつ病になったことがある/家族の中にADHDもしくはADHDの症状が出る人がいる/方向がわからなくなったり迷子になる>などです。こういった特徴が、ADHDの特徴として示されています。
 それでは、そういった方々にして、我々支援者はどのような支援をしていけばいいか……。結論を言いますと、発達障害のある本人だけを健常や定形発達、いわゆる一般常識に合わせようとするのではなく、家庭や学校、職場、地域との相互作用の中で検討していきます。常識がないと言われますが、常識と言うよりもその人が生きるスキルに焦点を合わせます。つまりライフスキルと言う考えが広がってきています。ライフスキルでできないところというのは、できなくても良いのではないか。そこは我々支援者が支援していく、という支援付きの自立と言うことを考えていくべきだと思います。実際に、アメリカで1986年に障害者が訓練して就職するというそれまでの発想を変えて、知的障害のある方の場合は就職した場所で支援すると言う非常に大きな発想の転換が図られました。援助付き就労では、ジョブコーチと言う支援者が入って行くことになりました。試みはどんどん変わってきまして、集団で働くとか移動して働くとか、従来の援助付き就労の範囲が広がってきています。つまり、援助付き就労が可能であれば、援助付き自立があってもいいというわけです。
 例えば、LDのある方が就職してうまくいかないのは<マニュアルが読めない/メモが取れない/報告書が書けない/情報を正確にとらえられない>。注意に問題のあるADHDの方の場合は<指示が頭に入らない/やることを忘れてしまう/仕事に手を付けないままにしてしまう/問題を要約できない>。コミュニケーションに問題のある高機能自閉症やアスペルガー症候群のある方は、<相手にどう伝えたらいいのかわからない/不必要なことをしゃべってしまう/失敗してもその理由を説明できない/特定のことにこだわりが強い/社会性、いわゆる対人関係をうまく保てない>ということです。
 その結果、アスペルガー症候群を例に失敗事例を紹介しますと、<上司や同僚が言ったことが理解できない/相手に伝えることができない/好ましくない言語表現をし、相手を不快な気持ちにさせる/あいまいな言動が理解できない/相手の気持ちを無視して、自分の好きなことだけを喋り続ける/自分勝手な行動をしてしまって、周りから嫌がられる/感情的になりやすく、かんしゃくを起こす/数に興味がある人の場合は、高層階でエレベーターの階数を示されたナンバーをすべて押してしまう/たまたま入ったエレベーターのナンバーのボタンの前に女性が立っていたら、女性以外に誰もいないエレベーターの中で女性の真後ろにくっついて立ってしまう(それでセクハラということになってしまいました)/音や光に敏感なために、勝手に人のパソコンやモニターの電源を落としてしまう/場の空気を読めない人が多いため、人間関係に支障をきたす>。
 私が支援したある男性の方の場合は、小中高は普通の公立学校でした。手に職でもつけたら良いのではということで、お母さんは本人に調理師の専門学校に行かせました。ところが、アスペルガー症候群のある方には不器用な方が数多くいるので、授業中に指を切ってしまって、学校の方からやめてくれと言われ退学になりました。その後3年間はひきこもり状態です。全く動きませんでした。3年後に老人ホームでの実習が見つかったので、支援者が行ってみないかと言うと、「はい、行く」の一言で行くことになったんです。ところが老人ホームに入った瞬間に、大きな声で「ここは年寄りばっかりで嫌だ」と言ってしまった。そういうところでの対人関係に問題がありました。彼は決して悪い人ではないのですが、介護職の方と2人で食事補助をする時に、介護職の方が「トイレに行くのでちょっと待っててくれ」ということで一人にさせておくと、高齢者の方はそんなに早く食べれないということを彼はわからないので、次から次にスプーンでお粥をすくっていって、介護職の方がトイレから帰ってきた時には口の中がお粥だらけになっていました。お風呂から上がった利用者の髪の毛を乾かしている時に、ドライヤーを髪の毛にピタッとくっつけて火傷をさせてしまったこともありました。また、車椅子を2階から1階へスロープを伝って押して行くとき、スロープに差し掛かった瞬間に大きな窓越しに施設の理事長の高級車を発見し、車椅子の手を放してそっちに走って行ってしまったこともありました。そういった問題を考えると、彼が老人ホームの仕事に向いていないのではなく、対人関係中心の仕事でないものを与えるべきだったと思います。老人ホームでは給茶と言って、お茶を配る仕事があります。それから、朝昼晩と3食の配膳と片付けと、食器を洗う仕事があります。そして、清掃のない職場はありませんから、床やトイレの清掃、それから老人ホームの周りの掃き掃除もあります。老人ホームでやる一番大きな仕事は、実はクリーニングがあります。施設では大きな洗濯機が2つあります。一つは普通の洗濯器で、もう一つは排泄物がつく場合がありますが、それ専用の洗濯器。洗濯をすれば当然干しますし、それを戻してたたんで各部屋に持っていくことがあります。こういったいろんな仕事を集めることをワークシェアリングと言いますが、そういったかたちで対人関係のない仕事に従事させるというノウハウを考えてあげればうまくいくと思います。また、彼は知的に高くないと言っても、言葉による指導よりも文章による指導の方がわかりやすいので、ソーシャルストーリーズと言って、文章に書いて教えるといった方法が有効だということがわかってきました。
 もう一人の方は、小学生の時にLDと診断されまして、成人期になってアスペルガー症候群の特徴もあると言われました。彼は生まれてからしばらく言葉が出るのが遅かったそうです。ブランコとか滑り台が全く苦手です。発達性協調運動障害という不器用なところがあります。幼稚園時代はじっとしていられませんでした。学校に入ると、計算とか漢字は覚えられるけど、文章題ができません。学校時代はずっといじめにあっていました。高校は全日制の普通科の高校に行きました。そして車の免許を取りました。ここでは問題ないと思ったんですが、就職した場所で3か所ともペアで組んだ相手の人からいじめにあって、とうとう精神的に落ち込んで自分から精神科をかかりました。その後3年間ひきこもりです。結局、彼の場合は普通の高校に進学・普通の就職ということを親が望んだのでそれがプレッシャーになりました。私と相談した時にはお母さんは抵抗がありましたが、本人が障害者として就職したい、と手帳の話をしたら、ぜひ取りたいと本人が言いました。彼の場合は、精神障害者手帳ではなく療育手帳を取りました。お母さんは、自分のお子さんのことを障害者として見ていきたくなかったのですが、本人の希望でした。その後、特例子会社で実習を行いました。特例子会社では非常に構造化された支援をしていたので、彼は現在も働いていて今年8年目になりました。彼には知能検査などの心理検査を行ったんですが、IQ的な問題よりも、能力のばらつきが非常に激しい方でした。現在の仕事は、発砲スチロールの頑丈なもの、スチレンペーパーと言いますが、こういったものを加工する仕事に就いています。
 もう一人、最後の事例です。この方は女子大学医学科を出ています。いわゆる医大出身ですね。大学を出たから就職に問題ないだろうというイメージがあったのですが、40社をクビになりました。いじめが一番多く、二つの事が同時にできませんでした。それでうつ病になり病院を受診して、摂食障害と診断され、そういった2次障害が生じていました。現在は、障害者職業センターの紹介で彼女の能力に合った仕事と、それから非常に周りの方が理解してくれていて、仕事のやり取りが全部メールになりました。言葉でなく文章でのやり取りです。そしてまた、お昼ご飯は他の女子社員と一緒に食べられないということで、別室で食べさせてもらいました。こういうちょっとした配慮によって、彼女は最初3時間就労だったのが現在は8時間就労を行っています。
 こういったことを考えていくと、先ほどお伝えしたような、仕事そのものの能力ではないソフトスキルの問題というのが、支援のターゲットにして行く必要があることがわかってきました。
 それではこのソフトスキルはどういうことかというと、もちろん対人関係のスキルも含まれていますが、SST(ソーシャルスキルトレーニング)と言われている対人機能訓練では、精神障害の寛解者の場合は非常に効果が上がっていますが、アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラムのある方はやはり限界があることがわかってきました。とすると対人関係スキルに関してだけを教えるのではなくて、コミュニケーションの問題は職場でのマナーやルールとして解決することができます。たとえば課長と係長が立ち話をしている、ど真ん中を突き抜けていく人がいます。そういう時にはそれはいけないというのではなくて、課長と係長がしゃべっていたら「失礼します」と一言言って、課長の後ろを通るという、そういう具体的なスキルで対応できます。
 ただ問題なのは、就職する前の様々な日常生活のスキルです。いわゆるライフスキルになります。このライフスキルという言葉は、WHOが定義しています。それは「個人が日常生活の欲求や難しい問題に対して効果的に対処できるように適応でき、前向きに行動するために必要なこと」。「ライフスキルというものは、健康問題と社会問題を積極的に予防すること」ということも書いてあります。ただ、その中身が、自己認識スキル/共感性のスキル/効果的コミュニケーションスキル/対人関係スキル/意思決定スキル/問題解決スキル、こういったことが含まれていて……とても発達障害のある方が獲得できるスキルばかりではありません。よって、発達障害のある人にとってのライフスキルということを検討していくべきではないかと考えています。そうなると、まだここに関しては具体的な定義はありませんが、大人になって幸せでなければいけないわけですから、大人になって日常的に行う活動を支援していって、そこで何が課題かを検討する必要があると思います。

動き始めたQ-ACT|精神科アウトリーチ医療の最前線から


福岡で活動中のQ-ACTのみなさん

 イギリスには在宅治療チームという人たちがいて、どんなに激しい症状を呈する患者も病院へ入院させない精神科の治療を行っています。世界一精神科のベッド数の多い日本では、問題の解決を未だに入院という形態に頼る医療が中心です。
 精神障害を持つ人たちが隔離された環境に長い期間おかれることによる弊害がどれほどのものであるかということは、いちいち例を挙げる必要もなく、また住み慣れた地域で暮らす事がどれだけその人の回復に役立つか、ということは数多く立証されています。
 この春から、精神科アウトリーチ医療についての教材ビデオの制作に取りかかっています。福島の訪問看護ステーション「なごみ」と福岡の「Q-ACT」の取材を終えました。
 Q-ACTはこの4月から活動を始めたばかり。わずか5名のスタッフからなる小さなチームですが、スタッフそれぞれが個性的でチームワークがいい、という印象です。
 そのチームプロデューサーの倉知さんに、Q-ACTの今を語っていただきます。

Q-ACTの1年


チームプロデューサーの倉知延章さん

 2012年4月に、福岡県で初めてACTチームが誕生しました。それが我がQ-ACTチームです。設立準備から3年近く、ようやく開設までこぎつけることができました。
 私たちのチームは看護師3名、作業療法士+精神保健福祉士1名、精神保健福祉士1名の5名体制です。もうすぐ作業療法士が1名加入します。顔ぶれを見てもわかるように、チームに精神科医はいません。近隣の精神科医に協力を依頼しています。積極的に協力してくれる連携医は3〜4名います。つまり、医師をアウトソーシングしているわけです。果たしてうまくいくのか……。
 開設して半年たちました。結果は、まあまあうまくいっているかなというところです。チーム精神科医をアウトソーシングすることで、経営的に安定しており、スタッフの給与は平均より高いでしょう。マイナス面は、利用者の主治医が20名近くいることで連携が煩雑なこと、往診ができないことなどでしょうか。連携医以外の主治医だと、薬の調整などスムーズに意見交換しにくいこともありますね。それよりも、医師でなければならない支援がほとんどないことも経験的にわかってきました。なので、連携医が主治医だと他のACTチームと遜色なく運営できると確信しています。その上クリニックを経営しなくてよいので、設立資金、運営費の心配が不要ですし、何より開設のハードルがグッと下がります。すぐにでもどこにでもACTが誕生させることができます。これは本当ですよ。
 さて、チーム運営について述べましょう。開設するより、運営する方が遙かに大変です。それはチームとしての成熟度が問われるからです。チームとして利用者を支援するわけですから、スタッフが個々バラバラな支援方針や支援の考え方をもったままではチームとして機能しません。今まではそのまとめ役を医師に頼っていたのではないでしょうか。これからはコメディカルスタッフひとりひとりが、チームで関わることの強みを理解し、議論をしながら支援方針を一致させるという努力をしなければならないでしょう。Q-ACTは、まさに今、その努力を続けているところです。私はチームプロデューサーの立場として、私も含めてみんなの努力でチームが少しずつ成長していっているのが嬉しいです。
 2年後には次のチームを立ち上げます。いつの日か、県内のどこにでもACTチームが存在していることを夢見ています。夢は叶えます!

一般社団法人Q-ACT/九州産業大学
倉知延章

Re:ベリーオーディナリーピープル2012 制作日記|右に往ったり、左に往ったり

2011年8月26日(金)〜28日(日)
佐々木さんと岡本さんとの出会い。

中島映像教材出版では、2010年に「Re:ベリーオーディナリーピープル2010」を出していて、なかなか評判が良いのでシリーズ化する計画をしていた。「2011」のネタをみつけるために、べてるまつり2011開催期間中の浦河町を訪ね、施設を見学し、多くの人にお会いした。
まつり会場でもらった「べてるもんど」(創刊号)という雑誌の表紙インタビューが佐々木さんで、15ページに「岡本さんの一日」という記事が載っていた。お二人に会ってみたくなったので、「グループホームべてるの家」を訪ねると、たまたまお二人ともいらして、少しだけ話をすることができた。
真面目で忙しく働いている佐々木実さんの生活と、タバコ、散歩、昼寝の岡本勝さんの生活に密着して、対比するようにして描いたら、面白いのではないか。そのアイデアを浦河町の居酒屋でポロッと話したところ、「2011」はそれで行こうということになった。

2011年秋
準備は遅々として進まず。浦河は寒くなる。

新潟に戻ってからしばらくはとても忙しく、気がつくと秋も深まっていた。お二人の生活に密着するわけだから、なるべく長い時間を取りたい、けれども長くなると経費がかさむ。いろいろ考えて、撮影には7日間をあてることにした。撮影は息の合ったK氏にお願いしたかったので、スケジュールを確認すると、年内は7日間あけるのは無理とのことだった。2011でなくなってしまうけれど、K氏以外にこの撮影をお願いできるカメラマンを思いつかなかったので、社長に了解をもらって、撮影は来春以降ということにした。なんとなく、ホッとした。生まれも育ちも新潟なのだが、私は寒さに弱いのだ。

2012年春
ハイシーズンは経費がかかる。

春になって、そろそろ進めなければと思っているうちに、ゴールデンウィークになってしまった。時のたつのは、早いものだ。
昨年の反省から、まずカメラマンのスケジュールを押さえた。6月末日まで、撮影は1週間とお願いしたら、6月の最終週をあけてくれた。6月中の撮影にこだわったのは、7月になると、北海道はハイシーズンになり、宿泊、レンタカーなどあらゆるものが高くなるし、押さえにくくなると教えられていたからだ。
ようやく撮影の日程が決まった。

2012年6月24日(日)
初日から深夜の撮影。

新潟空港を発つと1時間と少しで新千歳空港に着く。それから浦河町までは、レンタカーで3時間くらいの道のりだ。車中では、撮影についていろんな話をした。手持ちカメラで対象にどんどん近づいていくのではなくて、カメラを固定して、対象から少し離れた位置で撮影すると、これまでのドキュメンタリーとは少し違ったものになるのではないかなどと話していると、3時間はそう長く感じなかった。
浦河町について、すぐに向谷地悦子さんに連絡をした。「カフェぶらぶら」で池松麻穂さんも交えて、佐々木さんと岡本さんの1週間のスケジュールをベースに打ち合わせをした。「ぶらぶら」のコーヒーは結構いける。
グループホームべてるを訪ね、佐々木さんと岡本さんに挨拶。1週間のスケジュール、1日のスケジュールをあらためて伺い、撮影の予定を立てていった。
佐々木さんが深夜、浦河港でトレーニングをしているという話は、誰でも知っている有名な話だけれど、現場を観た人は少ない。本編では目玉映像のひとつになると考えていたが、そのシーンを早速今夜撮ることになった。23時に「グループホームべてるの家」。佐々木さんのインタビューを撮った後、浦河港へ。佐々木さんのトレーニングは思っていたよりもハードなものだった。
前日23時ころから、「グループホームべてるの家」の食堂で佐々木さんのインタビューを撮って、浦河港へ向かった。「Re:ベリーオーディナリーピープル2012」冒頭のシーンだ。携帯用の照明に照らされた佐々木さんの姿が漆黒の闇にぽっかりと浮かんでいる。
浦河港に着いて、「普段と同じようにお願いします」と言うと、受け身が始まった。佐々木さんは高校時代(浦河高校)相撲と柔道の経験があるそうだ。しかし、下は堅く冷たいコンクリート。しかも昭和16年生まれの佐々木さんは70歳を超えている。佐々木さんが受け身をする度に佐々木さんの痩せた身体がコンクリートに強く打ちつけられて、骨までがきしむような音がする。見ている方が切なくなる。「Re:ベリーオーディナリーピープル2012」はドキュメンタリーなので、撮影対象に注文をつけて動いてもらうような演出は一切していない。けれどもこの時ばかりは「佐々木さん、もういいです」と言ってしまった。
普段だと、佐々木さんは、独自のトレーニングメニューを1〜2時間ほどやるそうだけれど、それに付き合わせるのも気の毒だからという配慮から、「今日はこのへんにしましょう」と言ってくれた。少し前はランニングもしていたが、半月板がすり減ってしまって、今は走ることができないのだそうだ。メモには「まるでアスリート!」と書いてある。
「べてるの家」に戻るころは日付が変わっていたが、さらに話を聞いた。
トレーニングの後、佐々木さんは、「ラジオ深夜便」を聞きながら、コーヒーを飲んだりして過ごす。この時間がとても好きなのだと言う。ただ、今日は夕食後「緊張して眠れなかったので眠い」と言うので、「大事な時間をつぶしてしまってすいません」と詫びて、宿に帰った。

2012年6月25日(月)
調子が良くて、多弁な岡本さん。

佐々木さんは普段5時ころに朝食をとって、一旦休んで7時ころにまた起きるのだという。7時ころ「べてるの家」に行くと、佐々木さんはとっくに朝食を済ませていて、テレビを見ていた。「好きな番組はあるのですか?」と訊くと「天気予報」という返事がかえって来た。朝だけで3回は見るそうだ。短時間に予報が変わることもないだろうから、「好き」ということでないと説明がつかない。
岡本さんは、「べてるの家」の前の定位置でしゃがんで日なたぼっこをしていた。同じようにそばにしゃがんで話しかけると、意外にいろいろと、たくさん話をしてくれた。
浦河高校に通っていたころの話(岡本さんが佐々木さんの浦河高校の後輩であることをこのときはじめて知った)、横浜の企業に勤めていたころの話、病気になったころの話、浦河に帰ってきてからの話……このへんは本編に収録してあるので、そちらを見てください。
昨年のべてるまつりでもらった「べてるもんど」誌には、「岡本さんは前夜のうちに翌日の朝食を食べてしまう」と書いてあったのだが、最近は、食べ物が喉に詰まってしまうといけないので、世話人さんに見守られて食べるようになった。岡本さんの朝食は8時ころ。69歳とは思えない食欲でモリモリと食べる。ただ、歯が悪くなって、固いものは食べられないのだそうだ。
「ニューべてる」。朝ミーティング。
メンバーの体調気分の報告。韓国からの見学者、国内からの見学者、我々撮影部隊も紹介された。
岡本さんは、こづかいとタバコをもらうとすぐにどこかに行ってしまう。
この日は、朝ミーティングの様子を撮影しているうちに岡本さんの姿を見失ってしまった。散歩に出たのではないかと付近を捜索したのだが見つからない。岡本さんが浦河の町を散歩する姿は、是非とも収録しておきたい映像だったので、とても焦った。結局、岡本さんはニューべてるの向かって右側の小さな喫煙室で居眠りをしていた。適度な広さで、日当たりが良いこの部屋は、岡本さんの個室のように使われているようだ。
岡本さんが床屋に行くというので付いて行った。床屋に行くのは、2ヶ月に1度だそうだ。
夜は、「カフェぶらぶら」で、韓国からの見学者グループを歓迎し、懇親を深めるパーティーを撮影。
佐々木さんは最初の挨拶、岡本さんは乾杯の音頭。二人はとても立派なあいさつをした。
岡本さんは、直前まで「オレは(パーティーには)行かない」と言っていたのに、「遠いところ、良くいらっしゃいました。私たちは待っていました」とあいさつした。調子いいなあ。

2012年6月26日(火)
岡本さんの謎の変心に動揺。

佐々木さんが浦河赤十字病院精神科を受診するというので同行する。
佐々木さんの受診はひと月に1回。病気はもう10年以上安定した状態で、診察時間は数分、病気の話はほとんどしないそうだ。
川村先生のお話を伺う。今、べてるでは、精神病よりも成人病の方が問題なのだという。
夕方、「べてるの家」へ。
週に1回看護師さんが訪問してくれて、みんなの血圧を計ってくれたり、相談に乗ってくれる。
岡本さん、石井さんがおとなしく血圧を計ってもらっている。佐々木さんは、健康診断の結果の紙を持ってきて、看護師さんと話をしていた。成人病が心配なのだという。
岡本さんは、「べてるの家」の前の定位置にしゃがんで、タバコを吸いながら、通りを眺めている。しばらくそうしていて、思いついたように自室に戻り、また出ていってしゃがむ。日に何度もこれを繰り返している。
この日、「べてるの家」の食堂にいるときに、お父さんの話をしてくれた。その他にもたくさん話をしてくれたのだが、数十分後、外でしゃがんでいる岡本さんに声をかけると、目が話をしたくないと言っていた。やや遠くから、通りを眺めている岡本さんの姿を収録した(これはラストに近いところで使いました)。何も考えていないようで、あらゆることを考えている。何も見えていないようで、すべてのことが見えている。そんな感じがするのは、見る側の問題だろう。べてるに来るとビョーキになると言われるが、3日目にして撮影部隊にも異変が生じてきたのかもしれない。

2012年6月27日(水)
住宅街にカモシカが出没。

「ニューべてる」で朝ミーティングの様子を撮影してから、佐々木さんが店番をするというので、浦河赤十字病院内のべてるのショップ「ぱぼ」へ行く。店と言っても目立たない一室。申し訳程度の看板がかかっている。以前はおむつなどを配達して、それなりに売上があったものの、配達ができなくなってからは、売上は低迷していると言う。
「ニューべてる」で昆布詰め作業の様子などを収録。べてるの理念に「手を動かすよりも口を動かせ」というものがあるが、手も口も動いていた。みんな楽しそうに作業をしているのが印象的だ。
「おけいちゃん食堂」。今日のメニューは酢豚。おいしそうだ。
浦河町の情景を撮影。街全体を撮るために、高台に登ろうと道を探していたところ、住宅街の裏でカモシカに遭遇。びっくり。郊外に足を伸ばしてみると、カモシカ、キタキツネが当たり前のように現れる。クマが出てこないか不安になった。

2012年6月28日(木)
清水さんの衝撃証言と岡本さんのリアクション。

岡本さんの通院日。清水里香さんに付き添われて、浦河赤十字病院へ。岡本さんの通院は3週間に1度。今日は泌尿器科と精神科を受診。待合室で清水里香さんの話を聞く。清水さんは、岡本さんに関する衝撃の証言を連発。思わず岡本さんが清水さんをジロリとにらむ場面があった。その表情がとてもいい。その後の清水さんのフォローがまた良かった。11時からSSTの様子を撮影する予定にしていたのだが、病院で時間を取り過ぎて、撮影することができなかった。
岡本さんはしゃがんでいることがとても多い。病院では、長椅子の前にしゃがんでいた。どう考えても椅子に座っている方が楽だと思うのだが、どうしてしゃがむのだろうか。本人に聞いてみたのだが、答えてもらえなかった。同じ質問を山根耕平さんにしたところ、「本人はしゃがんでいるのが一番ラクなんじゃないですか」ということだった。
撮影5日目になり、疲労はピーク。待ち時間に居眠りをして、虫が飛んできて口に入る夢を見た。
「おけいちゃん食堂」で本間恵子さんの話を聞く。
岡本さんは指定席に座り、みんなに気にかけられながら、飄々とモリモリと食事をしている。
「ニューべてる」で、池松麻穂さん、秋山里子さんの話を聞く。
佐々木さんの真摯な一面、岡本さんの意外な一面を聞くことができた。

2012年6月29日(金)
見習いたい佐々木さんの飲み方。


岡本さんは毎朝散歩をします。けれどもそう遠くには行きません

佐々木さんの朝食風景を収録するために、午前5時前に「べてるの家」へ行くと、岡本さんが浦河港の方角へ坂を下っていくところだった。岡本さんは2005年に脳梗塞を発症し、足が不自由になった。それ以来、遠くまで出歩くことはなくなったけれども、散歩好きの血が騒ぐのか、「べてるの家」の近所を毎朝散歩していると聞いていた。散歩のシーンは撮影したいと思っていたのだが、これまで撮影できていなかった。
「べてるの家」の前に立って、海の方角を見ると、ゆっくりと坂道が下った先に、踏切があり、その向こうに浦河港が見える。カメラマンも私もとても気に入っている景色だ。その景色の中で岡本さんは、楽しそうに歌を歌っていたかと思うと、奇声を上げたり、ブツブツと何かをつぶやいたりしながら、坂を下りかけて、また戻るということを繰り返していた。そのとき、岡本さんの後ろに見えている浦河港に大音響で演歌を流しながら一艘の漁船が入港してきた。まるで計ったようなタイミングで、誰かが演出しているのかと思うくらいだった。
佐々木さんのこの日の朝食は、小松菜のおひたし(自分で作った)、納豆、レタス、キュウリ、ミニトマト、バナナ、牛乳。レタスをかじる姿はかなりワイルド。
夕方、「べてるの家」のグループホームごとのミーティングを収録。とても和やか。
佐々木さんの夕食の様子を収録。「べてるの家」で晩しゃくをするのは、佐々木さんだけだそうだ。4リットル入りの焼酎が早ければ1ヶ月ほどでなくなる。週2回の休肝日をとって、1回1合ちょっと飲んでいる計算になる。見習わなければならない飲み方だ。

2012年6月30日(土)
抱えているものの重さ。

撮影最終日。
佐々木さんと服部洋子さんのお買い物デート? を撮影。
別のグループホームに住んでいる服部さんとは、いつも事前に乗るバスを打ち合わせておいて出かけるのだそうだ。なんか微笑ましい。
慎重な佐々木さんは、「念のため、確認します」と言って、服部さんの携帯電話に電話をした。ところが、つながらない。「ひょっとして、忘れているのではないか、まだ眠っているのではないか」佐々木さんはいろんな心配をする。あんまり心配するので、服部さんの住むグループホームに行ってみることにする。
近くまで来てみると、バス停で待っている服部さんが見えた。そのまま服部さんを拾って、二人をお店まで送ってもいいのだが、バスに乗り込む佐々木さんが撮りたかったので、大慌てで引き返した。
無事、撮影はできて、二人もバスの中で予定通り会うことができた。
買い物の後は、「カフェぶらぶら」でランチ。ツーショットで話を聞いた。
和やかに朗らかに話しているのだが、改めて佐々木さん、服部さんの抱えているものの重さに気づかされる。
服部さんが帰った後、佐々木さんを囲んでスタッフ、メンバーの座談会。みんなの質問に佐々木さんは真摯に丁寧に答えていく。みんな佐々木さんの言葉を聞き漏らすまいと息をのんで佐々木さんの言葉を待っている。偶然店に来たお客さんまでもが聞き耳を立てる。佐々木さんが「べてるの精神的支柱」と言われるわけが分かったような気がする。佐々木さんは「べてる」の原点を体現している存在なのだ。
夕方、浦河を出て、札幌へ。北海道最後の夜は、少し羽根を伸ばそうと思っていたのだが、居酒屋で少し飲んだだけでダウンした。疲れていた。
翌日、早い時間の飛行機で新潟に帰った。
撮影期間中はずっと晴天だったし、幸運が重なって、とても良い撮影ができた。
あとはこれをどう料理(編集)するかだ。

2012年7月〜8月
べてるまつりに間に合わない!

編集作業は、7月半ば過ぎからになった。
まずは撮ってきた映像(業界では素材と言う)すべてに目を通す。素材は全部で16時間あった。単純に目を通すだけで16時間。実際は、途中で止めたり、繰り返し見たり、チェックをしながら、メモを取りながら、見るので、その倍近い時間がかかる。
ドキュメンタリーに台本はないけれど、テーマはあるので、通常は、撮影前にだいたいどんな構成で行こうかということは、ぼんやりとできている。ところが今回は、事前に予想していた映像とは違う映像ばかりが撮れているので、一から考え直すようなことになった。
素材から数秒の映像を切り出し、それをつないで行くという作業は、緻密で、集中力が要求され、孤独な作業だ。この作業が楽しいと思えるようにならなければ、この仕事は続けられない。私も普段なら半ば楽しみながらキツイ作業をこなしていくのだが、「べてる」は予想以上に手強かった。
現場で感じてきたことが、なかなか映像になってこない。少しつないでは、やり直すという賽の河原を何回も繰り返した。8月末の「べてるまつり」には間に合わせて、そこで大々的に売らせてもらおうと考えていたので、気持ちも焦ってくる。追い込まれたような気持ちで深夜まで作業をしているうちに、ややノイローゼ気味になって、作業がまったく進まなくなった。
「べてるまつりには間に合わなくてもいいから」と社長に言われ、救われたような気持ちになり、思い切って2〜3日この作業のことを頭から追い出して、リフレッシュすることにした。
結局、ナレーションの録音、音楽、仕上げは8月31日になった。
完成後、社長、ナレーターと祝杯を上げた。都合でカメラマンが来ることができなかったのが残念でならない。

(最後に)
お買い上げの上、ご感想をお送りください。

この作品は、「べてるの家」、「ベリーオーディナリーピープル」をご存知の方を対象に作りました。ご存じない方が観るには、説明が不足していて、やや不親切な内容になっていますが、制作者が伝えたかったことはだいたい感じてもらえるのではないかと思います。
佐々木さん、岡本さんの語りの部分は、冗漫と言われても仕方がない長さになっています。テーマに関係のないことを言っていたり、同じことを繰り返し言っているところもあります。言い淀んでいるところなどは削ってしまうこともできますが、削りませんでした。ここのところは、テレビなら3分の1、4分の1の長さにしなければならないところです。ビデオだって、売り物ですから、より短い時間で分かってもらえるのなら、それに越したことはないはずです。けれども……ここですごく悩んでしまったのですが、ここのところは、削ってしまうと伝わるものが違ってくる、伝えきれないものが大きくなるというように感じたのです。
私が浦河で感じたことは、ラストシーンに込めました。できれば本編をご覧になって、ご感想などいただけるとうれしいです。

いま、街で生きるということ|第2回 佐藤珠江

精神の病を持って街で生きる、ということの大切さ、しんどさが身にしみて感じられる日々です。その大切さやしんどさを現場からの視線で伝えていただきます。 第2回は、埼玉精神神経センターで副看護師長を務めている佐藤珠江さんです。

看護師自身の脱施設化


さとうたまえ―社会福祉法人シナプス・埼玉精神神経センター外来副看護師長。SST普及協会運営委員・認定講師。病院デイケア、訪問看護、院内家族教室を担当。白衣からポロシャツ、Gパンで仕事をするようになってから12年、さいたまの街を飛び歩いています。

 精神科医療が入院治療から外来治療へとシフトする中、精神科で働く看護師はどれほどの役割を果たしてきただろうか。そのころ病棟看護師だった私がSSTに出会った99年に外来の配属を強く願い、外来一筋で多くの地域で暮らす方たちと接してきました。
 外来看護師という立場で精神科デイ・ケア、訪問看護を実践すると、病棟での精神科看護のノウハウは全く通用しないどころか、考え方を180度転換しなければならないことに気づかされました。
 SSTは病棟で働く多くの看護師に広まりました。そしてこれからは看護の知識と技術にSSTという必須アイテムを併せ持った看護師が一人でも多く病棟から飛び出し地域で活躍する事がさらに求められます。精神科に入院している方の早期退院、脱施設化が叫ばれ10年以上がたちましたが、看護師が地域に目を向け看護師自身の脱施設化を目指したいものです。
 精神科の治療は、やむなく入院治療をしたとしても、退院してからが本番です。生活をしながら治療を継続していく方に、看護師としての役割を果たすことを考えたとき、SSTは看護師の必須アイテムだと思っています。

SSTは精神科リハビリテーションとしての治療技法

 私の働くデイ・ケアは比較的若い方が多いのですが、珍しく50代後半の女性がデイ・ケアに紹介されてきました。発病してから30数年一人暮らしをしながら再発することなく頑張ってきました。デイ・ケアや訪問看護などのサービスの無い時代を、彼女が姉のように慕う一人の主治医によって支えられてきたのです。ところが主治医が定年で退職すると途端に服薬が中断し再発してしまい入院することになりました。そして退院と同時にデイ・ケアに紹介されましたが心を閉ざし服薬していても気分は不安定で、たまにデイ・ケアに来てもいつも怒ってばかりいました。再発の防止と主治医とのコミュニケーションの回復に向けて「症状自己管理モジュール」に取り組み始めました。30数年一人できちんと暮らしてこられた、彼女の最大の強みである"まじめさ"が多いに発揮され最後まで頑張りました。そしてSSTの枠組みでの学習活動は彼女の自信の回復にも役立ちました。「症状自己管理モジュール」を修了し改めて評価面接を行い、希望や生活目標を設定した時に「友人がほしい」と初めて希望を表明しました。最近の仲良くしていた友人は? の問いに「中学生の時かな……」と話してくれました。中学生で両親を無くし兄弟もいない彼女は、何という孤独の中を生き抜いてきたのでしょうか。「友人がほしい」という彼女にSSTは力になれると話し、それから2年4クールのSSTに参加。今では、デイ・ケアに参加する日は徐々に減り、同年代の友人と食事をしに出かける、自宅に友人を招くなどしています。孤独からの解放は彼女を再発から守る最大の防御因子となるでしょう。
 SSTとは、リカバリーに向けての精神科リハビリという治療そのものだと強く思います。病院という枠組みで関わることの多い看護師がSSTというアイテムを活用し、活発に地域で活動する時代の到来です。